戸部薫議員の6月定例会の一般質問は以下のリンクをクリックすると見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=8vo5wSuAu4Q
以下文字起こしです。
戸部かおる議員
日本共産党の戸部かおるです。12時までに終わるように頑張りますが、ちょっと自信がありません。
ただいまより登壇しての一般質問を行います。
ご承知のとおり、世界では、ウクライナやヨルダン川西岸、ガザ地区などさまざまな国や地域において紛争や戦争が起きています。そして、ウクライナに侵攻したロシアは核兵器の使用もじさない発言を繰り返し、国連でもでの避難決議もたびたび採択されているとおりです。戦争や紛争で犠牲になるのは、いつでも子どもたちを含む市民です。国連憲章に基づく1日も早い戦争終結を願わずにはいられません。
こうしたときに、昨年の暮れ、日本原水爆被害者団体協議会、いわゆる被団協がノーベル平和賞を受賞いたしました。
当時の報道によりますと、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが受賞の理由と報道されました。
被団協は1956年に結成され、68年間にわたり、昨年までで68年間にわたり被爆者の立場から、核兵器の使用は人道的に許されない、また人類と核兵器は共存できないとして、核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。こうした地道な活動がノーベル平和賞の受賞になったと、私は敬意と救いを表明するものであります。
同時に、自治体や私たちの住む地域における平和を守る取組の強化が求められていると思います。
そこで市長にお尋ねをいたします。
日本原水爆被害者団体協議会、被団協が昨年ノーベル平和賞を受賞しました。このことについて市長の見解をお伺いいたします。また、同時に、非核平和都市を宣言している本市の今後の平和に関する事業計画等の概要を伺います。
次に、第2の質問の柱は、市営住宅に関する質問であります。
物価高騰が長引く一方で、働く人たちの実質賃金も年金も目減りりが続いています。ここに来て、エネルギー関係の料金が若干値下がりはしたものの、家計のやりくりは大変であります。こうしたときに、市営住宅に入りたいという声や要望が私のところにも届いております。市の総合計画を見ますと五の四 生活基盤の整備の項、126、127ページでは、現状と課題について、本市の市営住宅の多くが昭和30年から40年代に建設されていることから、老朽化への対応や耐震化を推進するとともに、維持管理が困難な住宅の解体撤去など入居率や今後の住宅需要を踏まえた整備が求められています、とあります。と同時に、施策の具体的展開では、市営住宅の老朽化対策及び耐震化を進め、安全で快適な市営住宅の提供に努めますともあります。つまり、市民の要望に応える市営住宅の提供に努めることを明記しているわけであります。私はこの総合計画に沿って、市営住宅に入りたいという市民の声に応える。そういう勝浦市政が求められていると考えます。
そこで市長にお尋ねをいたします。
物価高騰対策の一環として市営住宅の提供拡大を求める市民の声、要望がありますがこうした市民の声、要望に対して市長の見解をお伺いいたします。
以上、申し述べまして、登壇しての質問といたします。
御答弁よろしくお願いをいたします。
照川由美子市長
ただいまの戸部議員の一般質問にお答えします。
はじめに、非核平和宣言に則った事業の推進についてお答えします。まず、日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞についてでありますが、長年にわたり核兵器の廃絶を訴え続けたことにより、核兵器のない世界に向けた国際社会の取り組みに寄与したものとして、令和6年12月にノーベル平和賞を受賞されたものと認識しており、大変素晴らしいことだと考えます。次に非核平和宣言に則った本市における今後の事業についてでありますが、本市におきましては、昭和62年9月に核兵器を持たず作らず、持ち込ませずの非核三原則の実施と世界のあらゆる核兵器の廃絶と恒久平和を願い、非核平和都市宣言を定めています。以来、平和関連事業として、ビデオ上映や原爆に関するパネル展、戦時下の資料公開など多様な形式で勝浦市平和展を開催しています。今後も勝浦市平和展の開催を通して平和意識の向上を図るとともに、恒久的平和への取り組みを推進してまいりたいと考えます。
次に、物価高騰対策の一環としての市営住宅の供給拡大についての見解でありますが、本市の市営住宅は公営住宅法に基づき建設したもので、住宅に困窮する低所得者に対し低廉な家賃で賃貸するものです。物価高騰により今後住宅に困窮する低所得者が増加することも想像できますが、令和4年3月に策定した勝浦市勝浦市営住宅長寿命化計画において対応年数に至った支援住宅は建て替えは行わず用途廃止とし、それに見合う程度の戸数を民間賃貸住宅を活用した家賃補助制度を中心とした住宅支援とすることとしており、現在は旭ヶ丘団地の新耐震基準の戸建住宅以外の支援住宅では入居募集は行っておりません。したがいまして支援住宅の新設及び制度の拡充による提供拡大は考えておりません。
以上で、戸部議員の一般質問に対する答弁を終わります。
戸部議員
御答弁ありがとうございました。
御承知のように被団協の方々は長年にわたってノーモア広島、ノーモア長崎、そしてもう1つノーモア被爆者、これを訴え続けてきたわけであります。国連の場でもそういう訴えを行い、核兵器の廃絶をずっと訴え続けてきました。それが御承知かと思いますけれども2017年には国連において核兵器が非人道的兵器であることを基本認識とする核兵器禁止条約が採択されたわけです。そしてこれが効力を発揮するためには50カ国以上の批准が求められており、4年後の2021年1月には条約として発行しました。つまり条約が法的効力を有するということに至ったわけであります。昨年9月段階の資料しか手に入りませんでしたので、そこで調べてみましたら、94の国々がこの批准に向けて署名をしているということが分かりました。あれから去年の9月末ですから8ヶ月ほど過ぎていますので、もっと増えているかなと、国連に加盟する国々の過半数もまもなく突破するのではないかと、またそういう期待もしているところであります。こうした活動にこうした条約がつくられていく、それが世界で認められていく、批准されていくというこのかげには、やはり日本被団協の方々の長年の活動が大きな役割を果たしたということは言うまでもないと思います。市長は先ほどの答弁で大変素晴らしいことだというふうに述べられました。私も全く同じ思いであり、敬意を表するしだいであります。同時に私は唯一の被爆国である日本の政府が1日も早くこの核兵器禁止条約について署名批准することを強く求める者の一人であることを表明をしておきたいというふうに思います。
さて、ではこの市の平和に関する取組について先ほど答弁もいただきましたが、いくつか質問をさせていただきたいと思います。まず最初に本市が非核平和都市宣言をしている市であることをこのこと自体を広く市民や観光客を含めた勝浦市への来訪者へアピールすることが今こそ必要ではないかなというふうに私は思います。例えば、広報やホームページへその旨を記載するということ、ただ勝浦市ではなく、勝浦市は非核平和都市宣言をしています、というようなことを記していくということも一つの方法ではないか、というふうに思いますので、その辺、どのようにお考えでしょうかお伺いをいたします。
屋代浩総務課長
お答えいたします。
非核平和都市宣言の宣言文につきましては、これまで平和展開催時に会場におきましてパネルへの掲示等を行ってまいりました。今後も勝浦平和展の開催時、また開催に向け周知を行う際に広報またはホームページ等を使って周知してまいりたいと考えております。
以上です。
戸部議員
ぜひそのような取組を進めていただきたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。
次に別の角度から質問をいたします。
現在市役所敷地の正面玄関の近くですね。
それと総野集会所の二箇所に非核平和都市宣言モニュメントと言っていいんでしょうか、告知板と言っていいんでしょうか、ちょっと私正確な表現がわかりませんが、それが設置をされています。国道297号線を通る行き来するドライバーさんや車の同乗者もそれ見えますし、勝浦市役所に来るたびにそのことは見えるというふうに思うんですね。勝浦はそっか、子育てと同時にそれを保障する平和の取り組みを宣言しているし、なんだということも分かるようになっている、大変有意義なものではないかというふうに私は常々思っておりました。したがって具体的に言いますと旧総野村でしょうか、地区とそれから勝浦町、旧で言いますとね。その2カ所しかないんですね。しかし観光客はいろんなところに来るわけです。ですから、興津地区とか上野地区にもぜひ増やしてほしいなというふうに私は思っているわけですが、このモニュメントと言いますかね、これを増やす計画はないのでしょうかぜひお話ししてほしいという立場から質問いたします。
屋代総務課長
お答えいたします。
現在ご質問にもありましたように、市役所前及び総野集会所の脇に非核平和宣言のモニュメント表示板を設置してございます。非核平和都市宣言の表示板につきましては申し訳ありませんが、現時点では増設の考えはございません。過去の議会におきまして、同様のご質問にお答えしておりますように、表示板は公共施設や国道脇など多くの方の目に留まる場所に設置しておりますことから、今後公共施設の建て替えなどの際には設置について検討してまいりたいと考えております。
以上です。
戸部議員
ちょっと残念な答弁をいただきましたが、今後の方向としては公共施設の建て替えなどがあった場合には検討するということでしたので、引き続き私は期待をしていきたいというふうに思っております。
それで先ほどの続きになりますが、例えば夏の海水浴シーズンには部原からずっと行って浜滑川あたりまですごい人ですよね。とりわけ、鵜原海岸とか守谷海岸とか興津海岸というのは相当な人出があります。そういう方にもぜひ私は見ていただきたいというふうに思うことから、先ほどのようにどこかにというようなことをしたわけですので、今後公共施設の建て替え等のときの検討の際にはそういうこともぜひお含みをお聞きいただければ大変ありがたいというふうに思いますので、よろしくお願いをいたします。
その次に先ほど市長の答弁にもありましたように、毎年の夏に開催されている市役所1階ロビーでの勝浦市平和展の内容の拡充とともに、市民参加型の取り組みにするということも考えていいのではないかなというふうに思います。
例えば私の提案になるかもしれませんが、会場については7月はキュステのロビーで行う同じ内容でも構いません。
8月は市役所1階のロビーでその内容を行う、というようなことですね。会場を増やしていくという意味では、あるいは図書室、図書館なんていうこともあるかもしれません。
と同時に市民参加型ということで言いますとこれも私の提案ですが、事前に折り鶴の用紙を配っておいて、そしてそれをお家で折ってもらい、それをつなげて持ち寄っていただいて平和展期間中にそれを展示すると、これはうちの孫が折ったツールだとか、これはうちの子が折ったツールだとか、これは私が折ったツールだとか、そういうことで市民の皆さんの関心は一層高まるのではないかというふうに思いますが、これらのことについてのお考えがありましたら答弁をお願いいたします
屋代総務課長
お答えいたします。
勝浦市平和展の開催につきましては、これまで市役所1階市民ロビーで開催してきましたが、本年度は来訪者がより多いと思われます。キュステのエントランスホールを開催場所として検討しているところでございます。
また、展示資料につきましては、これまで広島平和記念資料館や関係者の方々から映像ですとか、パネル、模型などの資料を借用して展示してまいりました。平和展の開催に当たりましては、関係者の皆様のご協力が必要不可欠と考えておりますので、今後、資料提供による内容の充実に加えましてご提案いただきました市民参加型の開催につきましても検討してまいりたいと考えます。
以上です。
戸部議員
大変前向きな御答弁ありがとうございます。
市民参加方の取組というのは大変人手がかかるというふうに推測されます。したがって、職員の皆さんのオーバーワークにならないように、ぜひとも御配慮いただいて早期に実現しますよう、よろしくお願いを申し上げます。
次に、夏の一定期間に例えば図書館を利用するということについて考えてみたいと思います。
仮称ですが、図書館に平和コーナーというものを設けて展示する、あるいは平和に関する図書を紹介をする、そういうことも必要ではないのかな、というふうに私は思います。
この点についてまず第一点お伺いをします。
それからまた勝浦中学校では、毎年開催しておられます。
私もここ何年間か連続して参加をさせていただいている。
戦争体験のお話を聞く会、正式な名称はちょっと忘れましたが、そういう内容のことが続けられています。
中学校でこうやっていただくというのは大変、私はありがたいことだというふうに思っています。
そこに私たち一般市民も参加させていただいているということも重ねてありがたいことなんですが、こうした取組を市としても企画実行することが今緊急に求められているのではないかというふうに考えます。
今、緊急にと言いましたのは御承知のとおり、今年は戦後80年です。当時10歳だったお子さんは今年中に90歳になります。当時20歳だったお子さんは今年中に100歳になります。つまり体験者の高齢化が進んでいるんですねですから、体験を直接お聞きできる機会というのが年々減っています。
今こそ急ぐべきではないか。そういう意味で緊急にというふうに申し上げた次第ですので、ぜひその辺のお考えをお聞かせいただければありがたいです。
ご答弁お願いします。
屋代総務課長
お答えいたします。
現在図書館、それと郷土資料室におきまして、戦時中の写真や関連資料、また書籍などを展示する企画展というものを8月開催に向け計画しているところでございます。
また、戦争体験談を聞く会の開催についてでございますが、昨年6月に勝浦中学校におきまして南房総市在住の戦争体験者を迎え、戦争体験を語っていただく平和学習を実施したところでございます。戦争体験者が高齢化していることから、このような学習機会は平和を考える上で大変貴重な場所だと考えております。
このため8月の中旬には図書館におきまして企画展とのコラボ企画といたしまして、市民の皆様を対象といたしました戦争体験者の講演会を企画しているところでございます。
企画展及び講演会の日程等詳細が決まりましたら、今後候補やホームページを通じて周知してまいりたいと考えております。
以上です
戸部議員
既に具体的に話が進んでいるというご答弁いただいて、本当にありがたいです。
実は私このほかにも質問しようと思って予定していたんですが、時間が間に合いませんでした。
ですので、本日は質問しませんでしたけれども、勝浦には戦時中に日本で初めてのレーダー基地が作られたということを皆さんご存じだと思います。今でこそレーダーというふうに言いますが、当時は電探と言っていたそうですね。それが官軍塚のところにありますし、その電探の跡が今でも残っているんです。実際に行ってこうやって触ってみますとその丸い形のところにくぼみがあります。私も何度か行って触ってみました。そういうものがあったということ、先日には東京ではなくて勝浦に日本初のレーダー基地が作られたという、こういうことですとか、あるいは皆さん覚えていらっしゃるんじゃないかと思いますが、震洋という特攻艇ですね。
モーターボートの頭に200キロ爆弾を積んでそれをボートごと一緒に敵艦に突っ込んで相手をやっつけるという、そういう発想のもとに生まれた基地がかつての正確な名称は何て言うんでしょう、虫浦って言うんでしょうか、今県の水産試験場栽培業用センターがありますが、あの辺を中心にですね、から始まって一番遠くは、私の知り得る限りでは興津ですね。海岸線にたくさんの大きなトンネルがあります。それはほとんど当時の震洋基地の後だということを地元の人にも私直接お伺いをしております。そういうことがあるということで、こうしたところに今現在は雑草や樹木に覆われていて、そこに近づくことはできませんし、危険ですから中に入らないでくださいという市の注意事項の看板等も立っております。実際にはまだ天井が崩落していないそういう震洋の格納跡、そこは地元の人たちが魚網というんでしょうか、あれを片付けたり、あるいはさまざまな漁業に使う道具などを格納しているという、そういうふうにして現在も役立っている。
あるいは高級魚であるヒラメの出荷する前の一時に貯めておく場所というようなことでも使われているということを実際に行って確かめてまいりました。
そんなことがありますので、こうしたところにも当然天井が崩落するから近づかないでください、中に入らないでくださいという看板は必要だと思いますが、戦時中はこういうこともあったんだよということ、このことに光を当てるということも先ほど市長答弁にありましたように、恒久平和への取り組みの一つとしてこれからも発掘していく必要があるのではないかということを
回答は要しませんが、そういうことを要望して次の質問に参りたいと思います、よろしくお願いいたします。
さて次の質問でありますが、物価高騰対策の一環としての市営住宅の供給拡大を求める市民の声について、先ほど市長より答弁をいただきました。令和4年から方針が変わったというような内容だったというふうに思います。でもかなり強い要望なんですよね。それで具体的にちょっとお尋ねをしたい、というふうに思います。
今年度4月1日時点で結構です。都市建設課が管理する市営住宅の入居個数を伺います。多分都市建設課の管理するということになると万名浦団地、梨の木団地、旭ヶ丘団地というふうになるのではないかと思いますが、これらについて管理する市営住宅の入居個数をお伺いをしたいと思います。
栗原幸雄都市建設課長
市営住宅の中には用途廃止をしているものもありますので、現在入居している戸個数と入居可能な戸数ということでそれを合わせたものでお答えいたします。
まず万名浦団地が5戸、梨の木団地が38戸、朝日川岡団地38戸、合わせて81戸であります。
以上です。
戸部議員
前に私質問したことがあるんですが、その時点では万名浦団地は所有者から返還を求められているために更地にしてお返しする、そういう方向だということは伺っております。
ですからこの5という数字に現在はなっているのかな、というふうに思いますがこの81という数字は、例えば県と比べたりして平均的な数字なんでしょうか、あるいは多いんでしょうか、少ないんでしょうか、もしわかりましたら結構です。
お願いいたします。
栗原都市建設課長
お答えいたします。
千葉県の現在の県営住宅と人口で割ったもの、そして今現在の勝浦市の入居可能な戸数、それを人数で割ったものであると、ほとんど同数字になるということで、県営住宅と同レベルになるというふうに認識しております。
以上です。
戸部議員。
わかりました。ありがとうございます。
では次の質問に移りますが、それぞれの団地の修繕計画あるいは新設増設はないという先ほどの市長の答弁でありましたけれども、修繕計画あるいは今年度の市営住宅入居者募集計画等についてお伺いをしたいと思います。
お願いします。
栗原都市建設課長
お答えいたします。
まず万名浦裏団地でございますが、平成26年3月に策定いたしました勝浦市営住宅整備計画において、今後用途廃止としており、既存住宅は現状維持の修繕としております。次に梨の木団地でありますが、勝浦市営住宅長寿務化計画で維持管理を行う方針としているため、
耐久性向上を行い管理してまいります。
次に旭ヶ丘団地でありますが、新耐震基準の住宅につきましては、勝浦市営住宅長寿文化計画で維持管理を行う方向としているため、耐久性向上を行い管理してまいります。また、旧耐震住宅につきましては現状維持の修繕としてまいります。いずれの住宅も対応年数に至った。市営住宅は建て替えは行わずに用途廃止とし、それに見合う程度の戸数を民間賃貸住宅を活用した家賃補助制度を中心とした住宅支援とするため、新規入居者の募集は行っておりませんが、新耐震基準の旭ヶ丘団地の住宅については対応年数に至っていないことから、現在の居住者が退居した場合は改修を行い新規入居者を募集しております。また今年度の市営住宅募集計画ということでございますが、今申し上げたとおり退居者があった場合に入居の募集を行うため年度ごとに計画はしておりませんが、直近では旭ヶ丘団地の2戸を4月11日から5月9日の間に入居の募集を行っており今後入居審査会を経て7月上旬に入居できるように予定しております。
以上です
戸部議員
詳しく御説明ありがとうございました。
要するに、万名浦団地は今入居している人たちだけであって、それ以外はもう受け付けないということなわけですね。
それから、梨の木団地もほぼ同じと、ただし、修理はすると、維持管理はしていくということで、今後募集が行われるとすれば旭ヶ丘団地で転出者が出た場合に買えるという、そういうことだというふうに私は理解をいたしました。
いずれにしても、狭き門で大変だなというふうに感じたわけでありますが、そういう方針ですから、一方では民間住宅を民営アパート等を借用する場合にはそれなりの補助は出す、というお話ですので、ぜひその充実をお願いをしたいと思います。
最後の質問になろうかと思いますが、これは絶対に起こってほしくないんですけれども、でも、念のために質問をさせていただきます。例えば、大津波や大地震などによる被害時の住宅確保計画ですね。これをお伺いをしておきたいと思います。こういう大災害ですから、おそらく数百という単位での住宅が緊急に必要になってくるんだろうというふうに思います。私、念のために、市が発行しております総合防災ブック、これをつぶさに調べさせていただきました。
そうしましたら、避難所及び避難施設の記載はかなり細かく、きっちりと計画をされていますが、その後の住宅の保証というのについてはやはり課が違うんだろうな、ということですので、都市建設課にお聞きするのが一番いいかな、というふうに思いますので、もう一度繰り返します。
例えば、大災害によって数百単位の住宅が緊急に必要になった場合などにはどのように対応されるのかということで、今、空き家問題が相当クローズアップされていますけれども、例えば空き家バンクの活用、あるいは民間施設の活用ですね。そんなことも踏まえて、今後の計画についての概要で結構です。教えていただければありがたいです。
お願いします。
栗原都市建設課長
お答えいたします。
大規模の災害が発生した場合、住居の確保といたしまして、勝浦中学校のグラウンド及び北中学校グラウンドを仮設住宅の建設候補地としており、合わせて270戸を予定しております。
また、市営住宅の活用でございますが、梨の木団地については、空き状態の部屋はございますが、状態も悪く、改装が必要であることと、建物自体の対応年数が迫っておりますので、入居は難しいと考えます。
なお、住宅確保の手段として空き家バンクの活用をはじめ、民間住宅の活用など幅広く検討していく必要があると考えます。併せて、千葉県や近隣市町との連携を図る必要もあると考えております。
以上です。
戸部議員
詳しい御説明ありがとうございました。
こういう大災害は起こってほしくないというふうに、誰もが願っていることですが、万が一に備えるということはやはり必要だというふうに思います。その際、新しい住宅をつくるというような際に、最近よく言われるのは、住まいは人権という。そういう考え方がヨーロッパでは定着をしているという話も聞いております。ですから、住宅をつくる際には、あるいは確保する際には、今後の勝浦市の市政の運営も、そうした住まいは人権という精神を尊重する立場でぜひご努力いただきたいということをお願いをいたしまして、私の一般質問を終わりたいと思いますありがとうございました。